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『うつし世の静寂に』上映会

ささらプロダクション

 今日は久しぶりに映画を見に出かけました。
 大震災前に、DVDを注文して、届いていたのですが、忙しさに紛れて代金の振り込みをしないでいるうちに、大震災が勃発し、しばらく後になって振り込みましたが、その時に大震災では無事でしたと書き込んだために、ご親切なお見舞いのメールをいただき感謝しておりました。 

 監督の由井英(ゆいひでる)氏、企画制作と語りの小倉美恵子氏ともうお一方が、ささらプロダクションから来仙されて、お話しを伺うことができました事も、大変貴重な経験でした。

 文化庁映画賞、アースビジョン賞などを受賞した『オオカミの護符』に続く作品で、前作同様、小倉美恵子様御自身の原風景、家族との思い出、ご自身が経験された現実から出発して、思いを巡らすそのスピードにちょうど見合った映像の流れのスピードが、独特の映像美を形造っておりました。その流れのスピードは、私たちが自分のルーツを辿ろうとしたり、自己同一性を探ろうとする時の、躊躇うような、逡巡する時間の流れに乗って、見る私たちに映像の誠実さと信頼性を印象付けるものでした。由井監督の、おそらく深慮に基づいた才能によるものだと思われました。人が映画をどうして見るのか?と考えた時に、この「時間」を制作者たち、ドキュメンタリーとはいえ登場人物たち、そして観客とが共有するマジカルな96分のひと時に何か意味があるのでしょう。

 既に、自宅のテレビでDVDを拝見していたのですが、大画面で見るとやはり違いました。
 例えば、印象に残る場面の一つが、谷戸田と呼ばれる山の沢筋にあたる細長い水田でした。非常に労力を要する水田ながら、収穫は天候任せの場所なのです。後継者の保証がないまま、ここを守ろうとする人の働き、畔(くろ)と呼ばれる畦造りの技術も見事ながら、その人の気配が消えた漆黒の夜に、蛍が飛び、蛙がかしましく鳴く山と自然の存在感は、大画面ならではのものでした。

 大都会の川崎市で、まさに消えようとするかに見えて、人の心を強く駆り立てるものが、映像として表現され、人は何のために生きるのか?という根源的な思いに訴えるのです。
 十王堂を守る人と娘が並んで道具を掃除するシーンに続く、娘一人で手を合わせるラストシーンから伝わる温かさ、また獅子舞いが次世代へ伝承される様と山を降りる人々の顔に浮かぶ頬笑みの温かさ、直会(なおらい)の準備を若い頃は煩わしいと思ったのに、今では喜びだと語り、農家に嫁に来たいと思った願いが叶ったと語る女性の充実した様子、念仏講、無尽講、巡り地蔵に祈る人々の様子は、人の幸せは金だけではない、名誉だけではない「何か」なのだと気付かせてくれます。

 かつて五十数軒の農家が暮らしていた場所が、戦後、七千人を越える住宅街に変った事、自分の故郷にどうして大勢の人々が押し掛けてきたのか?と小倉美恵子様は思っていたそうです。

 そこには政治や経済、行政の政策の在り方が透けて見えます。
 山里を過疎地に変えて、都会に人手を集中させてしまう経済界の労働力の捉え方は、一方では都会に残る自然を住宅街に変えねばならない状況を作り出します。
 時給幾らとか年俸幾らというお金の観念は、人を幸せにするとは限らないものなのに、それがなくてはならないように人の心が変えられたのは、いったい何によるものなのか?いつまでもその価値観によって、人が動かされ続けて良いものなのか?という疑問を抱きます。
 
 東日本大震災を経験して、これまでの世界観、人生観が変った人が多いと聞きます。
 もう、政治、経済、メディアの都合で、働かされる世界ではなく、自分たちのルーツ、自己同一性の探求に目覚め、人との絆、地域とのきずなを大切に生きたいと思いました。

 「自然との共生」という言葉に潜む、他者を利用しようという傲慢な人の目線ではなく、自然に対し身を低くして手を合わせ、無心に生きたいという思いがしました。




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森林の果たす働き | コメント(1) | 2011/11/03 21:29

東日本大震災(4月1日改)(東北地方太平洋沖地震)

貝ヶ森6丁目にある仙山線沿い旧国鉄鉄道林

 平成23年3月11日午後2時46分に勃発した東日本大震災(4月1日改)(東北地方太平洋沖地震)は日本に大きな被害をもたらしました。外観上、貝ヶ森6丁目の住宅地に大きな被害はありませんでしたが、よくよく見れば、瓦や灯油のタンク、室内の家具や食器に大なり小なりの被害があった様で、町内の皆さまは、後片付けに大変な思いをされていました。
 さらに物流が滞り、日々の食料、燃料、ガソリンに今でも不自由しています。戦争を経験した世代の方々は、これが戦争が勃発したということなら、もっと不自由で醜い事が起こったと、昔を思い出していました。
 今でもガスの供給がなされませんが、他県(大阪?)のガス局からの応援の方々を、今日は中山方面でお見かけしました。お疲れ様です。

 貝ヶ森6丁目は仙山線沿いの地域ですが、上の写真のように旧国鉄鉄道林が線路と住宅地との間にあります。地震の後で、誰もがこの鉄道林の存在が、貝ヶ森6丁目地域の被害が大きいものでなかった事に関わっていると確信しています。



仙山線国見側

 この写真は旧国鉄鉄道林の向こうにある仙山線を挟んだ反対側の地域のものです。住宅やアパートの裏手の崖はJR仙山線の線路に向かって崩れたり、亀裂が多数見られたり、液状化現象のように見える場所もありました。

 森林の果たす働きの一つとして、防災に資する働きを、今だからこそはっきりと経験しました。

 地震の恐怖は今もまだ消えてはおりません。津波は私の通勤経路の一つを襲った事が、国土地理院提供の浸水状況図でよく分かります。私もその時其処に居た可能性がある事を思う時、他人事とは思えない恐怖を感じます。

 11日の地震の前にも9日だったと思いますが、大きな地震がありました。マグニチュード7.3、深さ10kmだったと思います。その時、地震の前に海鳴りの音を聞いたように思いました。寝床の中で瞼の裏に、うず潮と泡立つ波を見たように思いました。恐怖を感じ、起きなければ!逃げなければ!と思いながら、その後、揺れが始まり、地震が起きてからもなかなか目覚める事ができずにおりました。寝ぼけ眼で起き上がり、服を着ようとしましたが、体が恐怖で震えて、なかなか思い通りにはいきませんでした。
 貝ヶ森6丁目は普段、海鳴りが聞こえるところではありません。それなのに、地震の前にどうして「ドドー!ゴー!」という音が聞こえたのでしょうか?地鳴りだったのでしょうか?もしそうだとしたら、どうして私は水音と感じたのでしょうか?

*(4/18付記) 3月9日の地震は午前11時頃に発生しましたが、この日、朝普通に起床し、朝食後、いつものようにコーヒーも飲み、締め切りの迫った仕事を終わらせようとしていましたが、体調がすぐれませんでした。普段経験した事のないけだるい感覚、喩えれば、空気が黄色いアミーバのように、ねっとりとしたように?(却って分かりにくい?)重苦しく、恥ずかしながら朝寝をしておりました。地震後は、すっきりとした?というか、普通に戻りましたが、不安な感覚が持続し、仕事中の原稿をディスクに保存して、何事があってもどこかにデータが残るように作業しておりました。

 地震前の「海鳴り」については、すずめのこさんとご家族、私と家族が聞いています。

 ところが同じ町内でも、他にどなたかが気付いたという話はありません。
 3月11日に津波の被害を受けた海沿いの地域で、普通と違う「海鳴り」に気付いた方々はあるのでしょうか?

 現在、この事がとても気になっています。被害に遭われた方々の中でメディアに「海に裏切られた」「海が憎い」と話された方々がおられましたが、海は「海鳴り」で「警告」してくれていたのではないでしょうか?(付記終わり)*


 もうひとつ初めて経験した不思議な事がありました。11日のマグニチュード9.0の地震が起きた後の夜、余震を恐れて、私は家族やペットと共に、食堂の大きなテーブルの下で横になっていました。
 窓ガラスはペアガラスでしたが、大きな余震の前に「蜘蛛の巣」あるいは「樹木の枝葉」のような黒光りする模様が下から上に伸びていき、窓ガラス全体にその模様を光らせた後で、地震が起きました。「光る」といっても、明るい光ではなく闇の光と言うと矛盾しますが、何と表現したらよいのかよく分からない現象でした。磁気?電気?地震波?理系の方ならお分かりになるでしょうか?

*(4/18付記)この窓地震の揺れの方向から15メートルほど南東に、JR仙山線があり、東北福祉大学前駅新設のときに、2万ボルトの送電線が住宅寄りに移設され、電車の制御装置などが設置されています。電気、電磁波と地震とに何か相乗効果のようなものはないのでしょうか?磁気、電磁波の知識がないので、放射線と同様に、目に見えないけれど、悪影響を及ぼすという恐怖感があります。JR東日本は、遮音壁を設置し、電磁波の遮蔽をしっかりとしていただきたいものです。地震後、電車は通常より速度を落としているようですが、通過時の振動が激しいようです。線路の砂利をしっかりと突き固める作業を行ってください。(付記終わり)*

*(5/18付記) 福島原子力発電所で3月11日にメルトダウン、核燃料溶融が起きていた事がTVニュースになりました。自宅窓ガラスに不思議な「蜘蛛の巣」「樹木の枝葉」のような黒光りする模様を浮き上がらせた現象について、「ピカドン」放射線に関わる現象だった可能性はないのだろうか?と改めて恐怖を感じています。あの時、まるで黒い悪魔が窓ガラスに両手を掛けて、家の中を覗いたような恐怖を覚え、身震いしたものでした。(付記終わり)*


森林の果たす働き | コメント(0) | 2011/03/29 23:14
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